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この記事には映画の感想は一切ありませんツー

また感想のない映画の話をするつもりか!?

つもりです。恐ろしい。

前回は映画館においての映画鑑賞について意味もなく垂れ流したけど、今回はお家で鑑賞するスタイルも当たり前に好きだな…ということを排泄します。

排泄は大事だからね。


ここ数年は友人達とウォッチパーティーに興じることが増えた。

名作・話題作も観たりはするが、やはりチョイスに挙がりがちなのは虚無・クソ・謎映画が多い。

私がそういう趣味であるのもそうだが(は?)、幸福にもそれにノッてくれる人達がそれなりに周囲にいるということがこれを支えているはずだ。

私は悪くない。いや悪いけど、悪いが(は??)

真面目な話、周囲に同好の士がいることや趣味に理解がある人がいることの与える影響は大きく、趣味・興味を長続きさせることを支えていると思う。


そういえば自分の変な映画趣味はどこからきたのだろうかと、ふと気になった。

ウォッチパーティー文化が興った頃からだろうかとふんわり思っていたが、振り返れば学生時代から友人とレンタルビデオ屋に行き、B級ホラー映画を借りてはキャッキャしていた。

想像以上に長い付き合いだった。

あの頃はパッケージ裏のあらすじしか頼るものがなく、ガチャ要素は今よりも大きかったが、借りる瞬間の私達はどんどこいというテンションで賭けに身を投じていた気がする。

本当に怖い思いをしたのはそう多くはなかったが、紛れもなくいい思い出だと感じるので、いいんだと思う。

また、変なものを観せられて怒りに変換されることのない穏やかな鑑賞するスタイルを経験できたことが、個人的には非常によかったとも思う。

もしも先に怒りに変換される人に出会っていて、後に穏やかに鑑賞する人と出会ったとしても、きっと怒られることに怯えてしまい、こんなに不思議映画を探しては鑑賞するなんてこともしなかっただろう。


当時の私は映画に対してあまりこだわりもなく、知識も……いや今もからっきしだけども、なにかを考えながら・感じ取ろうとしながら鑑賞する感じではなかったけれど、今はそれなりに自分の価値観や軸で観られるようになってきている。そういう気がしている。

例えばよかったところ・性癖に刺さるところを見つけたり感じるのを怠らないことを意識するようになった。

とくに世間からの評判が芳しくないほど、強く意識するように努めている。

時間を無駄にしないためというより、評判はともかく、好ましいものに出会いたいからまだみぬ作品に手を伸ばすわけだし、それを諦めたら自分の中で不健全だな……という意識が頭をもたげるので……。

これは攻略法でもなんでもないのだが、こういう鑑賞方法をするようになってから「マジで頭が割れる……」という映画には数える程度しか出会っていない。

(観てる本数が少ないからでは?っていうのはまあそう。ホラーサスペンスくらいしか観ないしね……)

どんな作品でも最低一つはここすきポイントがあり、たとえ世間の評価とはズレてしまっても、それがあるから「この作品愛せるなあ……」と主張できるようになった。

根拠を伴った「好き」を抱えるというのは安心感もすごいし。

いかがですか?(なに?)


ウォッチパーティーの話に戻ろうかな。

何が特に好きなのかというところだけど、やっぱり違う人間の観点・知識を借りながら鑑賞できるところがいいと思う。

自分とは違う知識を蓄積している人との鑑賞は本当に面白い。

例えば3D製作経験者からは技術的な部分のことを、軍事的な知識に詳しい人からは兵器の使用方法や組織のディティールなどを指摘してもらえる。

自分一人では及ばない箇所への補足をしてもらえるというのは作品の理解を深めるのに非常に役立っていると、私はいつも感じています。ありがとう……。

そういうことがなくとも、純粋に頑張れ!とかで盛り上がるだけでも楽しいんだけどね。


世間的な評価の高い作品よりも星2~3.5とかのものばかりを好んで持ってくる俺がいなければもっと素敵な会になるのでは……?



・・・・・・・・・・・・。




ここまでウォチパのよいところをべた褒めしてきたけど、それはそれとして現実での映画鑑賞会をやりたい気持ちは特に薄れることもないのが不思議だ。

円盤でしか発売されていない作品が存在する以上当然のことなんだけどね。

2年ほど前から戦後映画にハマり、DVDを集め続けているんだけど、温故知新の不思議映画が山程あり、み、観てくれ!となることが多い。

ゲームのコントローラーをもって集合するようなああいうのに近いね。

実際にやれるかは別だし、実際のところやれなくてもそんなに困るわけではないんだけど、やりたいなと思う心を抱えている自分がしっかりオタクらしくて安心する。安心?

まあワオがオタクじゃなく見えたことなんて二桁歳になって以降存在しないけども。


謎映画の鑑賞はもちろん一人のときにも行っている。というか一人のときのほうがメインだと思う。

よかったところを見つけることも多いが、なにより苦痛をダイレクトに味わうことになるのがアツい。

言葉を尽くしてシェアしようにも、結局はほとんどの人が後に続き、感想の検証を行うこともないのも孤独と苦痛を深めてくれる。

(苦痛だったときのほうが筆が走るって往々にしてありますよね。あれおもろい)

感想を漁っても自分と近いものが出てこないときなんて最高に足元がぐらつく。

not for meであるのが主な要因だったときは救いがあるけど、「好きそう」と思われていたのにそうでもなかったときは苦笑いしかできない。

でもそういうことになるのが嫌ということではなく、そういう感情になるアトラクションのような謎の感覚がある。

一番理想的なのは評判がう~んであっても、自分には合っていたり、愛して帰ってこれることなんだけど、まあ理想を満たしてばかりでいられないし、そうでなかったときでも楽しい感情で終われるようにスッと気持ちに切り替えてやっていくことが肝要なんでしょうね。

これでは太刀打ちできない強敵も存在するけど、そんなこともあるだろ!(敗北宣言)


最初から映画館が一番とかウォチパがコスパいいとかの話は全くしていないけど、排泄してみるとなんだかんだあまり場所や鑑賞方法を問わずに楽しんでいるのが露わになって恥ずかしいような安堵感を覚えるような。

思想・姿・性癖のすべてが気持ち悪い人間だけど、気持ちよく映画を観るヤツでいたいかもしれん。



これは暑すぎて描いたらくがき・部屋着千花ちゃん。

丈の短いトップス、LOVEすぎる。

描いてた日は暑かったんですが翌日バカ冷えて「どうしようこれ」と思ってたらまたアホ暑くなって恐怖している。

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